【人生】念願の駐在員になれたけど目標を見失ったかもしれない【迷走】

海外で働くことを目標にしてたら完全に方向を見失った

あれやこれや右葉曲折があった上で海外で働くには一番コスパ良いんじゃないかって思った日系企業からの海外駐在っていう方法で海外で働けるようになった。「海外で働くぞ!」ていう意気込みだけでこの3年間くらい頑張ってきたんだけど、いざ達成されてみて思うのは「あれ、これが望んでたことなんだっけ?」ていう疑問だった。

なんで海外で働きたいって思ったんだっけ

最初のきっかけは本当に些細なことで、高校生の頃にバックパッカーぽい活動をしている大学生のブログ読んだりとか、カフェで欧州系の人たちと流暢に話している帰国子女ぽい人が単純にかっこよく見えたからだと思う。単純に海外文化に触れている人って自分に自信もっている人が多いなって思って、自分もそんな人になりたいなと漠然と思ってた。

大学で英語歌うサークルに入ったみた

英語をみんなで歌うGREEの日本版みたいなサークルが大学にあって、人数も多いし友達増えるし英語覚えるし一石二鳥じゃねって思って入会した。カタカナ英語で歌詞覚えてたし曲の意味とか一切考えずに音だけで歌ってたから全然語学力は身につかなかったけど、黒人かっこいい、とか、洋楽かっこいい、とか、単純に海外文化に対する興味が湧いた。この頃からYOUTUBEで洋楽カバーしている人とかを観るようになった。特にLeroy Sanchezて人が最高にかっこいいから聞いてほしい。そこで、みんなが軒並みカバーしているミュージカル音楽に興味もって、その中でもWickedて舞台のDefying Gravityて曲が凄まじくカッコよくて一度生で聴いてみたいと強く思うようになった。

卒業旅行でNYに行ってみた

バイトにサークルにハッスルしすぎて大学留年するだろうなて薄々気づいていたんだけど「卒業旅行」と称して貯めたお金で生まれて初めてNYに海外旅行に行ってきた。空港に着いたその足でWickedがやっている劇場に行って席を確保した。その時は語学力が壊滅的だったので言われるがままに当日予約で一番良い席を選んだら、後日3万円強の請求がクレカに届いてドン引いた。ただ高いお金を払ったかいもあって、オーケストラと演者を同時に見れる最高な席で生の舞台が見せる熱量に圧倒された。舞台について何もしらなくて2部構成に気づかないまま1部終わった頃に帰ろうとしてしまったのも良い思い出。「プラダを着た悪魔」にでてきそうなお洒落なお姉さんとか「Kingsman」にでてきそうな英国紳士みたいなおじさんとかが普通に当たり前に歩いていて、この生活水準目指したいってぼんやり思った。

生活のためにAirbnbでお金を稼いだ

案の定、大学は留年して企業からも内定取り消されて「あ、人生詰んだかな」って状況になった。自分の甘えが原因なことは気づいてたから自立しなきゃと思って、SNSで連絡とって起業家の方がやっているシェアハウスに実家から出て暮らし始めた。その生活の中でシェアハウスの空き部屋でAirbnbやらせてもらうことになって、それで身銭を稼ぎ始めた。最初は全然予約が埋まらなくてどうしようかと思ったけど、オタクハウスみたいなコンセプトでNARUTOのポスターとか涼宮ハルヒのフィギュアとか適当にちりばめた部屋を作ったら予約が埋まるようになった。最初に泊まってくれたのは日本に卒業旅行にきてくれたマレーシア人。「最終日だね、泊まってくれてありがとう!」って言いながら部屋の扉開けたら、エロ本を必死でベットの下に隠してた姿がとても印象的だった。次に泊まってくれたのは同じく卒業旅行できてくれた香港人。普通に日本語話すし英語も話すし中国語も話すし自分の意思もしっかり持ってて同世代でもこうも違うのかって思った。他にもたくさんの人が泊まってくれて、その度に自分のFacebookに海外の友達が増えていくのがすごい嬉しかった。ちなみにマレーシア人と香港人の彼らは今でも友達で、去年は彼らの国に行って一緒に遊んだ。この頃に英語でメール文章とかドキュメント作ったりとか、簡単な会話程度ならできるようになった。

フィリピンに海外留学してみた

人生は不思議なもので何とかしようと頑張ってれば何とかなるもので、内定取り消された会社に再度内定をもらい当面の生活の担保ができた。あと、半年で無事に卒業もできた。このタイミングで予想よりもだいぶお金が稼げてた。ちなみにLINEと繊維商社をかけもちして週7で働いてた給与とAirbnb収入が主な収入源で日系企業の中堅社員くらい稼いでた。この頃に憧れだった海外留学を実現したくて、仕事もAirbnbもやめてフィリピンに語学学校のインターン生として留学しながら働かせてもらった。そこで出会った英語の先生と毎晩ギター弾きながら英語で歌って遊んでた。毎日授業と日常生活でも英語使ってたら英語がだいぶ話せるようになって、ちょっと自信がついた。この頃ぐらいから海外の人とのコミュニケーションがすごい楽しくて、海外に住みたいって思うようになった。

 大学卒業と同時に海外赴任を目標に働き始めた

NYの生活者を見て、Airbnbで泊まってくれた人たちの話を聴いて、フィリピンでの留学生活を経て、海外で暮らしながら働きたいって思うようになった。だいたい調べていくと海外で働いて働く方法としては4パターンくらいありそうだった。① 働きたい国の日系企業の現地採用として飛び込んで働き始める。希望する国にもよるけどどの企業も人手不足感あるからチャンスはありそう。ただ給与は安そう。 ② 働きたい国の外資系企業で働く。語学力も能力もビジネス水準が求められる。だから採用チャンスが少なそう。③ 日本の日系企業で働き始めて海外赴任できるように努める。採用チャンスはありそう。給与は低そう。④ 日本の外資系企業で働き始めて海外赴任できるように努める。語学力も能力もビジネス水準を求められそう。採用チャンスが少なそう。結果として消去法的に③を選んだけど、間違ってはなかったとは思っている。 

目標としていた海外赴任ができた

働き始めた2年くらい経たあと、現在の会社で海外赴任できる可能性はあったけど、当時は限られた赴任枠がすでに既存社員で独占されている状況だった。正直そんな状況もあって諦めてたのと会社への不満もあって別の会社でできれば良いやと思って転職することを社長に相談したら、新規の海外プロジェクトに携わらせてくれることになった。棚ぼただなって思った。プロジェクトを推進していくにあたってステークホルダーが多すぎて全然決め事が決まらなくて1年半もかかってしまったけどゴリっと調整してなんとか予算確保した。

事業の実現に向かって現地法人の立ち上げて会社オフィスができて採用活動も頑張っていざ新しい会社で現地社員と一緒に働きはじめた時は本当に嬉しかった。現地に雇用を生み出せてかつ高い水準の給与も提供できて現地社員の生活に貢献できたのかと思うと嬉しかった。自分のために頑張ったことが結果として誰かの幸せに繋がったことが単純に嬉しいと思った。基本的に自分のために行動することが多い利己的な性格なのもあって、誰かの幸せに対して自分が嬉しさを感じる日がくるとは思わなかった。

生まれた疑問

ただ、この気持ちを最大化させたいなって思った時にぶつかったのが、日系大手企業特有の文化だった。社員個人がもつ優れたアイデアも組織として複数のステークホルダーから満場一致で合意を得られないと実行できない点だったり、意思決定に対する時間や費用が原因でビジネスチャンスを逃してしまう点だったり。外資で働いたことないしわからないけど、他社で働く友達に聞く情報と比較するとやっぱり違うようだった。

この文化は一部の業種には良い方向にも作用すると思うんだけど、ユーザー向けに提供されるサービスやコンテンツ事業には決してプラスにはならない文化だなと感じた。だから、組織の構造体を変えれば良いんじゃね?と思ってわざわざ海外に現地法人を立ち上げたんだけど組織としての同調する力が思ったよりも強くて結局「子会社」になってしまった。

きっとそれ自体は悪くなくて組織として正解を目指しての結果なんだろうけど、自分は組織として正解を目指そうとするよりも、もっと個人の成果とか事業の成果とかに集中したいと思った。組織は個人が成果をあげるための「箱」でしかなくて、いくら綺麗な「箱」を作っても中身がないのはは悲しいなと思った。そして、その中身を作るのは個人の意思であり、そこから生まれる成果なんだろうなと思った。

整理した上で次の行動を考えたい

自分の力でコントロールできない問題に直面してモヤモヤしたから、吐き出したくてこのブログを書いているんだけど、書くことでだいぶ整理できた気がする。海外に暮らしながら働きたいっていう意思で頑張ってきたことは、自分として満足のいく成果をだせているから間違っていないと思った。ただ、その先を考えられていなかったのが問題なんだろうなと思った。自分のために頑張って成果をだしてそれが誰かの幸せに繋がるみたいなサイクルを、もっと効率的に回すにはどうしたら良いか考えるべきだなと思った。だからこそ、次を自分が何をしたいかもうちょっと整理して考えようと思う